第4号 : 鳥取-京都自転車旅行記往復760km

経営学部経営学科二年荒金歩夢(島根県立横田高校卒)

1.自転車を始めたきっかけ

鳥取-京都 自転車旅行記 往復760km

私が高校生の頃、兄が交通事故にあった。トラックと自転車との接触事故だ。兄は一命をとりとめたものの、背骨を骨折し脊髄を圧迫してしまい、下半身の感覚を失った。
兄は自転車乗りだった。休日ともなれば、近くの山まで走り学生の頃は日本中を旅していた。そんな誰よりも自転車を愛する人が車椅子の生活を余儀なくされた。
しかし兄は諦めなかった。厳しい手術とリハビリに耐えて、半年後には自転車に乗ることができるようになった。一度は足を動かす事さえできずにいたのに。今では以前と同じように自転車に乗り、相変わらずフラッと走りにいってしまう。
兄の復活を見て私は「自転車乗り」に憧れを抱き始めた。彼らは誰よりも強く逞しいのだと。それから私は持っていた、やたら重いクロモリ製のクロスバイクでトレーニングを始め、自転車雑誌と自転車レースのビデオを見て、この世界の勉強を始めた。大学に入学したら、必ず自転車を始めようと決心した。

2.入学・夏合宿のリベンジ

鳥取環境大学に入学後、サイクリング部に所属した私は、一年生の頃はがむしゃらに自転車に乗り、体力と経験、知識を身につけた。そして二年になると部長に任命され、夏合宿で京都までのツーリングの計画を練ることになった。全行程380kmの過酷な旅だ。準備に時間を使いスケジュールを作成し、9月3日深夜に大学を出発した。しかし旅の二日目、一行は大雨にあい低体温症を訴える者も出た。さらに土砂崩れの危険性も浮上し、結果、旅の途中から輪行(自転車を公共交通機関に持ち込み、移動すること)を選択。完走することは叶わなかった。

私は帰りの電車の中で自分が走るはずであった道を眺めながら、リベンジすることを決心した。そして2週間後、再び私は自転車で鳥取を出発した。
今回のリベンジは私一人で走った。ちなみにルートは国道9号線で直接京都を目指すのではなく、日本海側の海岸線を通り、宮津、舞鶴、福井県小浜市通過し滋賀県琵琶湖の東側、高島市を走り、田の谷峠を登り京都入りを目指す。そして時間と体力に余裕があれば、さらに京都から鳥取まで帰る、という計画だ。往復するので全行程は760kmほどになる

第1日目

午後1時、いつものように十分なエネルギーを摂り、鳥取を出発した。前日の雨は止み、風があるものの空は快晴。休養は十分にとったので脚はフレッシュで順調に走れた。
ペダルを回し続けること5時間、90km地点、兵庫県豊岡市竹野で一日を終えた。海沿いの小さな駐車場がその日の寝床。「ツェルト」という簡易式テントを広げて眠った。波の音が心地よく、近くに住む住人が奏でるフルートの音色も聞こえてきた。野宿にしては快適すぎる環境だった。
1日目の終わりに親から電話があった。「京都の川が大雨で氾濫している。ニュースを確認して計画を練り直しなさい」という内容であった。すぐにスマートフォンで状況を把握したところ、台風18号の影響で鴨川、桂川などの水位が過去最高を記録したという。土砂災害の危険性もあるらしい。私はリタイアを考えたが、諦めたくはなかった。夏合宿のときは大雨にうたれたことが最大の原因だが、幸いなことに今回はまだ雨にはあってない。体調も良好。危険性はあったが旅を続行することにした。それに親は「計画に練り直せ」とは言ったが「諦めろ」とは言わなかった。

第2日目前半由良川まで

早朝午前3時。自宅から持参したおにぎりを食べて2日目をスタートした。空気は冷たく、秋の訪れを感じさせた。4日後にアルバイトが予定しているため2日目は長距離移動日とし、1日250kmほど走り、その日のうちに京都に到着することを予定していた。

丹後半島のリアス式海岸は「国道」ならぬ「酷道」で有名だ。険しいリアス式海岸のため起伏激しく、路面はひどく荒れている。とても自転車で走るような道ではない。白南風洞と呼ばれる古く小さなトンネルを抜けると今までの苦労が報われる瞬間が訪れる。京丹後市・経ヶ岬~伊根町蒲入までのカマヤ海岸の眺めは、雄大な日本海と断崖絶壁が連なる圧巻の景色だ。この景色は京都の自然200選に選ばれている。

台風の被災状況は想像以上であった。由良川河川敷では道路が泥と砂で覆われており、増水によって流れた木々が、川と反対方向に位置している歩道の並木に絡まっていた。つまり増水した水はその位置まで押し寄せてきたのだ。農家の方々は農機具の掃除に追われ、近くの保育園では園内に溜まった砂をかきだすために、作業員だけでなく保育士の方々総出で作業をしていた。

第2日目後半京都市まで

由良川を越え、舞鶴、小浜を通過し、文字通り全行程の山場、田の谷峠を登る。最大斜度15%、丹後半島と同じレベルの過酷さだ。時刻は既に午後11時、この峠は街灯がほとんど無いので、暗闇と自分との戦いでもある。
「暗闇の怖さ」というのは想像する以上に酷い物である。もちろん野生動物との衝突という物理的危険があるのだが、「暗闇」は人間を精神的に追い詰める。全く光が存在しない、頼れるのは自転車のライトのみの闇の中では、気がおかしくなるのだ。できれば夜中になど走りたくない。だが目の前にゴールの京都駅がある。そこまでに何とか今晩中につきたい。私は自分を奮い立たせ、暗闇の中を走ることを決心した。
どれくらい登ったのか、さらにどれくらい登らなければならないのか、暗闇の道では見当が付かない。永遠に走り続けるような感覚になりつつある。遠くでは獣の鳴声も聞こえ、気温は低いが運動で汗が吹き出てくる。ほどなくして明るいライトに照らされた大きな看板が見えてきた。「比叡山・延暦寺」の文字、頂上の比叡山ドライブウェイ前だ。やっと登りきれた。汗でウェアが背中に張り付き、酷使した脚は痙攣ししばらく動かせなかった。

20分ほどその場で休み、またペダルをまわしはじめた。ここから先は下り坂と京都市街地のみ。市街地を駆け抜け、あっという間に駅へとたどり着けた。京都駅の光を眺めて、私はただただ達成感に満たされた。その後市内の公園でテントを張り、眠りについた。格段寝心地が良いわけではないがたっぷりと熟睡できた。

第3日目

午前6時、目が覚めた。脚の疲れは完全に取れていた。コンビニのパンを頬張りこれからのことについて考えた結果、体の調子が良いので最後まで走りきることを決意した。午前8時、京都を出発。次に目指すのは鳥取環境大学である。
2日目に格闘した激坂を乗り越え、琵琶湖の近くに位置する、うどんのチェーン店で早めの昼食を頂く。私が訪れた時間はまだ開店時間ではなかったが、店員さんが気を利かして店内で休ませて貰った。さらにタオルまで持ってきてくれ、会計のときは飴玉もくれた。
一度は走った道を戻るので快調に進んでいき舞鶴市までたどり着いた。この時点で既に500km近く走っているのに疲れが全く感じられない。3日目は絶好調であった。

第4日目

この日も絶好調であった。道中には志を同じとする自転車乗り達にも出会いエールを頂いた。そのときは本当に何処までもいける気がした。しかし、脚の調子は宮津市までであった。往路で苦しめられた丹後半島にまたもや苦しめられる。思ったように進むことができず、ようやく丹後半島を終えて、京丹後市久美浜町についた頃は真夜中になっており、空には美しい満月が昇っていた。その日は中秋の名月であったのだ。これ以上は進めないと判断し、その夜は自販機で買ったジュースを飲みながら満月を拝んで寝た。

第5日目

絶不調であった。朝になっても疲れが取れず、体が鉛のように重い。だが進まなければならない。ここまで来て輪行して帰るなどできなかった。ゆっくり荷物をまとめて午前9時に出発した。
いつもの半分以下の力しかでなかった。久美浜町から50km先の道の駅餘部までたどり着くのに4時間もかかった。あと50kmで鳥取に戻れるというのに、これ以上走れる気がしなかった。食堂のカレーを食べようとしたがスプーンをもつ手に力が入らなかった。胃袋に収めることでさえ重労働に感じた。
いつまでもこのまま止まっているわけには行かない。次の日には予定が入っていることもあるが、今はとにかく走らなければならない気がしたのだ。私はわけのわからない衝動に駆られて自転車に乗った。だが20分や30分休んだくらいでは体力なんて戻るわけが無い。体は重く、自転車は進まない。惨めだが目に涙も浮かんできた。
このとき、高校生の頃、自転車乗りに本気で憧れ始めた自分の原点を思い返した。とにかく自転車で速くなろう、遠くにいけるようになろうと無我夢中にがむしゃらに頑張っていた。今まで、壁にぶつかったことも何度もあるし、自転車に向き合うこと自体に意味があるのかと疑問に思ったこともある。けどあきらめなかった。何があっても進み続けると誓ったのだ。
自分の原点を思い返したら、体が急に軽くなった。自然と一段、二段重いギアを踏めるようになった。自分でも驚くほど、飛ぶように速くなれた。このときの巡航速度は脚がフレッシュな状態と大差が無くなった。

数時間後、環大に到着。疲労がピークに達し、足はまったく動かず立つこともできず、大学ロータリーで空を仰いで倒れた。意識ははっきりしていたがその場で寝てしまいたいとさえ思った。私は京都駅以上の達成感と疲労感で満たされた。

これからの目標

全行程760kmの旅を終える事ができた。それは凄い事だ、と言われているが、私自身まったく凄いとは思えない。私はたった760kmしか走れてないのだ。
私の目の前には果てしない道が続いている。それは100km、200kmどころではない。1000km、2000kmもっとある。私が挑戦する限り道は続く。わたしは自分の力がある限り何処までも行きたいのだ。道は何処までも続いている。

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