第1号 : 漱石の嘆きとリーダーシップ (北崎)

漱石の嘆きとリーダーシップ(北崎)

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」
これは、夏目漱石が明治39年(1906)に書いた小説『草枕』冒頭の有名な言葉です。お読みになった方も多いと思います。この草枕は、漱石が漢学と英文学の教養をもとに渾身の力を込めて執筆したと云われています。冒頭の言葉は文学的には様々な解釈が可能ですが、100年以上前に書かれたにもかかわらず、現代の私たちにも、「なるほど、確かにその通りだ」と思わせる神通力を持っているように思います。

私は、経営・マネジメント周辺のことを実務家として、また不十分ながら大学教師として多少経験を重ねてきましたが、経営やマネジメントは実に人間の匂いの濃い学問だと感じています。もちろん、マネジメントにも様々な領域があり一概に云えませんが、マネジメントを考える際、顧客、消費者、従業員、リーダーなど常に人間そのものが大きな存在として立ち現われてきます。
こうした人間的要素が特に色濃く滲み出るのが組織論という領域です。たとえば、「リーダーシップ論」をみてみると、そこには、人間の匂いがふんだんに織り込まれており、まさに人間的情景そのものという気さえします。よく、リーダーには2つのタイプがあると云われます。一つは課題型リーダーで、仕事の成果を重視するタイプ。もう一つは社会情緒的リーダーで、人間関係に目配りして仕事を進めるタイプです。もちろん、どのリーダーも、どちらか一方だけの要素を持っているのではなく、要はどちらのウエイトが高いかということです。この2つのタイプを基にして、リーダーの行動に関するモデルとしてPM理論が提唱されています。Pはパフォーマンス(Performance)=成果を重視するリーダー行動、Mはメンテナンス(Maintenance)=組織内での人間関係を重視するリーダー行動を意味します。PMモデルは、このPとMの強弱・濃淡により、リーダー行動を次の4つのパターンに区分して考えてみようという訳です。

P:成果を重視するが人間関係にはあまり気を配らないタイプ
M:成果よりも人間関係に配慮するタイプ
pm:成果も人間関係も特に重視しないタイプ
PM:成果も人間関係もバランスをとりながら重視するタイプ

誰が考えても、PMタイプが一般的に一番優れたリーダーシップの発揮に思われるですが必ずしもそうとも云えない、というのが面白くもあり難しい点です。そのリーダーの下にいるメンバーの資質や能力によっては、あまり積極的に動かない、どちらかというと消極的で静かにしているリーダーが最も優れたリーダーということもありうるでしょう。ある程度断定的に云えそうなことは、リーダーもメンバーも生身の人間であり「双方がいかなる人間的な関係性を築くか」、このことがリーダーシップの有効性を決める大きな要因であるという点です。
冒頭の漱石が示した3つの警句になぞらえるなら、Pは「智に働く」要素になるでしょうか。そしてMは「情にやや傾く」ことなのかも知れません。「意地」は人間である以上、P的行動でもM的情緒にあっても、始終人間の内を去来する厄介なものでしょう。
では、私たちが程度の差はあっても、リーダーシップを発揮する場合、軸足をどちらに置いて、考え行動すべきなのでしょうか。仮に、身心に危険が及ぶかも知れない厳しい仕事を前にして誰をその任に就かせるか。リーダーならずとも、その人選に悩むことがあるでしょう。「彼は新婚早々だ」「彼女はお子さんが生まれたばかりだ」「何かあったら大変だ」リーダーの悩みは深まります。この瞬間Mを過剰に考えると「情に棹さし流される」結果を招くかもしれません。「いや、あくまでPで行く、それが智だ」と妙に力み過ぎると意図せぬ結果が生まれるかも知れません。結局、リーダー自身の判断しかない。しかし結論的に云うと、PもMも大事だが軸足はやはりPに置く、これが特に危機的状況でのリーダーの、それこそ人間的な、あるべきパフォーマンスなのではないかと思います。
人間は単純にして実に複雑な存在です。それ故に、漱石も冒頭の3つのフレーズに続けて、「兎角に人の世は住みにくい」と嘆じたのかも知れません。幸い私たちの多くは漱石先生のように、複雑・高度で鋭利な感覚を持ち合わせていないので、きっと「住みやすい人の世」で皆と仲良く暮らせるのではないでしょうか。漱石先生ありがとう、そして、すいません。

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